カテゴリ:歌人の見た風景( 4 )

ふる雪に

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<口語訳>
降り積もる雪と見まごうほどの白い梅の花。鶯だけは見分けて賞美するだろう。

新古今集より。菅原道真の歌です。
三句切れ(体言止めによる)。
道真公が梅を愛でたのは知られるところです。
とりわけ、左遷先の大宰府に発つときに詠んだとされる
「こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな」
の歌は有名ですね。

白梅満開の光景をひとり占めし、この歌に思いを馳せながらシャッターを切りました。
青梅市吉野梅郷にて。
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by eight__zhongguo | 2011-04-02 21:45 | 歌人の見た風景

物部(もののふ)の

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<口語訳>
たくさんの少女たちが入り乱れて水を汲んでいる寺の井戸。その足もとにはカタクリの群れが。

万葉集より。編集長の大伴家持の歌です。
「物部の」は「もののふの」と読み、八十(やそ)にかかる枕詞です。
「堅香子の花」はカタクリの花とするのが定説です。
口語訳として文章にしづらい歌です。
なぜなら「八十乙女」の姿は、実際に見たものではなく、心に浮かんだものだからです。
作者は、少女の群れを実景として見たのではなく、カタクリの群生を少女の群れに見立てたのです。
カタクリの群生が可憐に咲く様子が、たくさんの少女が嬌声をあげながら次々に水を汲んでいる姿として心に映ったのでしょう。
だから、一輪を撮った写真ではこの歌のイメージになりません。
この写真を撮った「カタクリの里」の看板にも、この歌が載っていました。
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by eight__zhongguo | 2011-03-31 16:21 | 歌人の見た風景

人はいさ

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<口語訳>
人はさて、その心がどう変わってしまったかはわからない。
昔なじみの懐かしい土地は、梅の花が昔のままの香りでもってこの私を迎えてくれることだ。

古今集和歌集の「詞書」によると、久しぶりに訪れた宿屋の主人にその無沙汰について皮肉を言われ、それに対して返した歌とあります。
「ふるさと」は今でいう故郷ではなく、「昔なじみの土地」の意。
二句切れで、訳のように一文目には「人は・・・」、二文目には「ふるさとは・・・」として、「人」と「ふるさと」を対比させて詠んでいます。
「花」はここでは梅。もう少し時代が下ると「桜」になります。


・・・・・さて、新カテゴリを創設しました。
名付けて「歌人の見た風景」です。
そもそも拙ブログは、我が国の素晴らしさを写真で表現することを目指しています。
古来、我々の祖先は”やまとうた”すなわち和歌という表現手段で、この国の美しさを表現してきました。
万葉の時代から、近代・現代まで夥しい名歌があります。
その風景を追い、写真で表現してみたいというのは、かねてからの望みでした。
そのイメージを私なりに読み取り写真に変換します。
さらに、私の解釈(訳)を付けてアップしていきたいと思います。
歌枕の風景なども撮りたいですね。
月に1~2枚アップできればいいと思っています。

初回は、あまりにもベタですが、古今集の撰者の紀貫之のもので、しかも百人一首にも選ばれたものを選びました。
まあ記念すべき1回目ということと、梅の時季ということで、勘弁してください。

月初めの記事ですので、コメント欄開けておきます。
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by eight__zhongguo | 2011-02-01 20:59 | 歌人の見た風景 | Comments(16)

渡る日の 影も隠らひ

ダイヤモンド富士
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「万葉集」 巻三 三一七  山部赤人


天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き
駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば
渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は


天地の分かれた神代の頃よりずっと神々しく、また高く、そして貴い
駿河の国にある富士の高嶺を、大空はるかに振り仰いで見ると、
空を渡る太陽の姿も隠れ、照り輝く月の光も見えない。
白い雲もおそれをなしてか行き滞り、時季を定めず年中雪が降っているなあ。
語り継ぎ、言い継いでいこう。この富士の高嶺のことは。(口語訳 by eight__zhongguo)

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by eight__zhongguo | 2009-12-11 23:14 | 歌人の見た風景 | Comments(5)